鬼怒川温泉のおすすめホテル、期間限定値下げ旅館を紹介。
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鬼怒川温泉とは

鬼怒川温泉とは栃木県日光市(旧下野国)にある温泉。
鬼怒川温泉は壮大な鬼怒川の渓谷にある関東有数の温泉観光街。
鬼怒川温泉街の中心を悠々と流れる鬼怒川は、小さな清流を集めながら川俣湖、川治湖を経て利根川に注いでいる。
龍王峡や楯岩、大瀞など、自然の風景をそのまま残した景勝を楽しみながら、観光できる。


鬼怒川温泉へのアクセス

鉄道で鬼怒川温泉へアクセス

東武鬼怒川鬼怒川温泉駅または鬼怒川公園駅すぐ。

車で鬼怒川温泉へアクセス

日光宇都宮道路今市ICより約30分。

鬼怒川温泉の泉質

アルカリ性単純泉
単純泉
火傷に対する効能があるとされ、北側の川治温泉とともに「傷は川治、火傷は滝」と称された。

鬼怒川温泉の温泉街

鬼怒川温泉駅の南側から、鬼怒川公園駅までの間、鬼怒川沿いの両岸、滝地区と藤原地区に数多くの大型ホテル、旅館の建物が連なる。
鬼怒川温泉は歓楽街温泉としても栄えた場所であり、それに伴う飲み屋なども数多く存在していたらしいが、
現状(2006年7月現在)、実際に営業している店舗は多くない。
鬼怒川温泉駅前は旅館業者が兼営するみやげ物店、食堂、売店が散在する。

鬼怒川温泉街の外れには、ロープウェイが存在する。ロープウェイの山頂側の駅近くに温泉神社が存在する。

立ち寄り風呂としては、鬼怒川公園内に町営の鬼怒川公園岩風呂(入浴料:大人500円)がある。また、ほとんどのホテル・旅館で入浴のみの利用も可能となっている。

同じ東京近郊立地の温泉地である箱根温泉に比べると、アクセスがやや不利で大手開発業者も入らなかったことから、いわゆるバブル崩壊後温泉街全体が経営的に苦しくなっている中、栃木県の地場銀行である足利銀行の経営破綻の影響で、大多数の旅館で資金繰りが悪化している。産業再生機構の支援対象となっている旅館業者は2005年4月末までで5社(同じ日光国立公園内では他に3社)あるほか、ここ2年間で廃業したものも2社(館)ある。


鬼怒川温泉の歴史

鬼怒川温泉の古くは滝温泉という名前で、鬼怒川の西岸にのみ温泉があった。
発見は1752年とされる。日光の寺社領であったことから、日光詣帰りの諸大名や僧侶達のみが利用可能な温泉であった。

明治時代になって、滝温泉が一般にも開放されるとともに、明治2年には東岸にも藤原温泉が発見される。
その後、上流に水力発電所が出来て鬼怒川の水位が下がるとともに、川底から新源泉が次々と発見され、次第に温泉として発展していった。

1927年(昭和2年)に、滝温泉と藤原温泉を合わせて鬼怒川温泉と呼ぶようになり、その名称は今日までいたっている。

戦後は東武鉄道の特急「きぬ」の運転などもあり、東京から多くの観光客が押し寄せ、大型温泉地として、また歓楽街温泉地としての発展を見せた。

2006年3月18日、新宿駅〜池袋駅〜大宮駅〜鬼怒川温泉駅間で「きぬがわ」・「スペーシアきぬがわ」が直通運転を開始。東京都西部、埼玉県西部、神奈川県からのアクセスが向上した。



帝国ホテル厨房物語―私の履歴書

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販売元 : 日本経済新聞社
発売日 : 2004-07

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帝国ホテル厨房物語―私の履歴書
ハンバーグはムッシュ村上からの恩恵

昨年(05年)著者である村上信夫氏が亡くなられたことが
とても残念です。

ハンバーグ好きな子供として育った方も多いかと思いますが、
帝国ホテルの料理長であり多忙を極めながらも、忙しい時間をぬって
一般家庭の主婦への料理教育にも尽力され、
テレビ「今日の料理」などを通した活動によって、
結果今日の私たちの家庭の食卓に「日常的に」西洋料理を代表する
ハンバーグなどがのぼることになった偉大さを忘れてはいけないと思う。

西洋料理が一部の特定の人たちのものであった和食中心の食生活の時代から、
本格的な西洋料理を何とかして広めようとした村上信夫氏の尽力が、
おおらかな人柄、人並みならぬ努力、
そして何より料理や人間への愛情が根幹にあるということが分かる素晴らしい本だと思う。

料理に興味がある人はもちろん、仕事に対する真摯な姿勢、
発想の柔軟さやビジネスチャンスのつかみ方、サクセスストーリーは
ビジネスマン、主婦、学生老若男女問わず学ぶことが多く、
読み物としても楽しい内容だと思う。

準備の徹底、コツコツと続ける努力

フランス料理界の重鎮。とはいえ苦労なく頂点に登りつめた訳ではない。うまくいかなくても、腐ることなく出来ることを徹底する。修行とは自らを練り上げていくことを体現してきた生きた教材である。
フランス修行、東京オリンピック、テレビ出演と巡ってきたチャンスをものにする。その秘訣は準備の徹底にあった。本書の中で「段取り八分」という言葉が実に印象的だ。人にも恵まれたというが、日頃の真摯に取組む姿あってこそだと思う。
戦争体験が生きている喜び、好きな道にのめりこむ幸せを後押しする。コツコツ努力した道のりから僕達が学ぶことは多い。先ごろ亡くなったのが大変惜しまれる。

氏ならではの面白いエピソード満載の本です

長く帝国ホテルの総料理長を務められ、先日、惜しくも亡くなられた村上信夫さんが「私の履歴書」に連載された文章をまとめた本です。
「私の履歴書」をまとめたシリーズには、有名企業のトップまでを歴任された方のビジネス観等をまとめた本が多いのですが、氏の場合は帝国ホテルの専務までされたとはいえ、やはり料理人としての側面が強く、他シリーズと同内容を求めらる方にはお奨めできません。但し、日本最初のヴァイキングを出された時、東京オリンピック選手村の料理長を務められた時、天皇陛下やエリザベス女王等、名だたるVIPを迎えられた時、ライバルといわれた他ホテルの料理長との関係、帝国ホテルを住居とされた有名人との関係等々、氏でなければ書けないエピソードが満載で面白く読めます。また、料理人の世界での師弟関係のあり方は、上司・部下の関係を考える上でも参考になり、他シリーズのビジネス書とは違った読み方が楽しめる1冊です。

死ぬまで料理人、生まれ変わっても料理人

 60年余りにわたって帝国ホテルの伝統を守り続けてきたフランス料理の第一人者、村上信夫の自伝である。それは村上一人の人生を記すだけにとどまらず、帝国ホテルの歴史、さらには高度経済成長期から現在までの日本の動きを、料理という側面から生き生きと描き出している。
 村上の経歴は極めてユニークだ。12歳で浅草ブラジルコーヒーに入り、銀座つばさグリルなどを経て帝国ホテルに入り、その後パリの名門、リッツなどで料理の腕を磨いて、帰国後は帝国ホテル新館料理長に就任する。1964年の東京オリンピックでは、選手食堂村の料理長として奮闘し、96年まで帝国ホテルの総料理長として活躍した。
 「メニューには、料理人の力量がまともに出る」という。その値段に応じた料理が出せるのかどうか、それが料理長の技量をはかる一つの物差しである。高い料金を示すには、それなりの技量と自信が求められる。その物差しを絶えず意識せざるをえなかった筆者は、新館料理長になってからの38年間、帰宅してから1時間、料理の勉強を欠かさなかった。その努力の積み重ねと、80歳を過ぎた今でも、料理に対する夢と情熱を持ち続ける姿勢に感動させられる。

元気づけられる

このような一流の人の履歴・苦労の変遷などを読むと、非常に力ずけられる。私は別に彼のファンでもなく、フランス料理を愛しているわけではないが、この本を読んだら、ちょっと一度は正式なフランス料理を食べたいと思わずにはいられないのは、私だけだろうか。



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