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このページの情報は 2006年8月3日10時49分 時点のものです。 |
スカイクエストコム総合情報サイト スカイクエストコム・ナビ鉄鼠の檻
事件への関与を嫌い、最後に重い腰を上げる・・・というのはこのシリーズのお約束のパターンのようだが、黒衣を身に纏った京極堂が最後に出撃するシーンは過去四作と較べても、抜群のかっこよさだろう。「憑物落とし」を生業とする男には深山幽谷が良く似合う。
京極堂シリーズ4作目。第一印象「分厚!」。それはさておき、ミステリー小説ではない、複雑なトリックと解明の明晰さに楽しみを見出すミステリーファンには面白くないでしょう。作者がこの作品で書きたかった所は一つは「禅と煩悩」に1作目から続く人間社会の妄執。登場人物達は皆、自分を構成する「囲い」「檻」を作り出す。京極堂が憑き物を落とすのは、この囲い、「自己満足」に囚われた、若しくは意味を取り違えた、常信和尚と了稔和尚を含む寺全体の2点だけ。煩悩を罪悪感に感じ修業する事により押さえ込む僧達、押さえ込むのが間違いと気付き大悟する。そして殺される僧達。自己満足を果たして殺されるのだ。思うに禅という物は自己満足である。大衆を救うという宗教目的が欠如している。本来は仏教の教えの一つとしてある物で、それ一つを取上げて日本で「禅宗」として確立しているのに作者は疑問を感じているのではないか。教団を離れたから自己満足するしかないとも京極堂は言う。京極堂にそんな大きな問題を落とさせるわけにはいかず、本作では旧禅を知る犯人に鉄槌を下させた。しかし犯人は悟れない為、悟後の修行も出来ず「十牛図」の最後の2枚を捨て、悟る者を妬ましかったと言う。自らを浅ましい、檻の中の鼠だと語るが、それだけで殺人を幾多も重ねさせるには少し無理がある。「釈迦殿教えを間違えて数千の仏が湧いたとな」(文中より)。最後に前述の煩悩がもたらす妄執に関しても作者の見解が旧作品を通じて論考できる。脳、科学、麻薬との関わり合いや他にも文中にある「所詮宇宙は有限だ必ず果てがある。そこから出る事は適わない」「肩書きが枷になる、本来の肩書きの機能である」「時間に追われぬ解放感は時間に縛られてこその解放感である」という反俗の思想でも書く事柄はあるが、語れと言われれば語るが字数が無いので書かない。様々なテーマが含蓄されている作品である。
「京極堂」シリーズの中では出来が悪い。前作の「狂骨の夢」はスケールの大きい魅力的な物語に仕上がっていたが、本作は僧侶ばかりで見所がない。初めからミステリとしては期待していないので、犯人が分かりやすい、謎が単純過ぎるのは我慢するとしても、物語自身に読者をひきつける力がない。京極堂が薀蓄をたれるのはいつもの事だが、本作ではそれが仏教に集中し過ぎているので、普通の読者が付いていくのは大変だ。私も活字好きなので最後まで読了したが、最後まで読んでこれかよというのが正直な感想である。次作の「絡新婦の理」では持ち直している(個人的な最高傑作) ので、アイデアが枯渇した訳ではないと思うが、シリーズで水準を保つ難しさを感じる。活字好きかつ妖怪好きの読者のため今後も頑張って欲しい。
禅については面白く読みましたし(時間かけたけど)
京極堂シリーズは好きですが、この作品はどうしても理解できません。序章の部分の流暢で美しい文章にひきこまれるように読み始めたのですが・・・。最後で思いきりこけました。
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